安藤裕子 『さみしがり屋の言葉達』 レビュー&セルフライナー

松本隆さんのトリビュートアルバム
「風街であひませう」に安藤さんの参加することが発表されましたね。


松本さんといえば、安藤さんが昔からことあるごとに影響を口にする数少ない(笑)アーティスト、
はっぴいえんどのメンバーで、偉大なる職業作詞家です。

安藤さんとはっぴいえんどについては、こちら


松本さんは、とあるインタビューで、作詞について次のように言っています。

歌詞作りは、曖昧で複雑な人間の感情の中から余計なものを削いで
「上澄み」をすくい取る仕事だと思っています。
はっぴいえんどでは、“ことば”や“うた”を通して、
生や死など人間の本質に関わる問題について答えを出そうと作詞に取り組んでいました。

音楽業界の中には「量のためには質を落とせばよい」というような暗黙の了解がありましたが、
僕はそうした風潮に一貫して闘いを挑んできました。
安易な粗製濫造コピーで下品な作品を残したくなかったから。
松田聖子をはじめ斉藤由貴薬師丸ひろ子など多くの歌手の作品を手がけましたが、
誰かを真似したような「亜流」を作らないことが、自分のプライドでした。
僕の詞を歌うことでそれぞれの歌手が全く違った個性の生命体として輝けるとしたら、
とても嬉しいことです。


さて、お馴染み宮川弾さんの楽曲に、
安藤さんが、松本さんへのオマージュ的に詞を付けたのが、
『さみしがり屋の言葉達』です。

さみしがり屋の言葉達

さみしがり屋の言葉達


正直私は音楽の詞、特に詞の内容については、
あまり音楽を聴いているときに意識が行かないので、
どのあたりが松本さん的なのかは今一つよく分かっていないのですが、
安藤さんの作品の特徴の一つだと私が思っている、
イントロの音のキラキラ感が際立つ、素敵な曲だと思います。

おそらく、この曲は、安藤さん以外の方が歌うと、
結構平凡なポップスになってしまうような気がします。
こういう曲を聴くと、安藤さんの声というか雰囲気って、
本当に特別だなと思います。

K.


<セルフライナー(word by 安藤裕子)>

この曲はちょっと遊ばせてもらおうっていうのが一番で。
贅沢に遊べたなあって思うんですよね。
今回は、メロディを先にいただいていたんですけど、
私、メロディをちゃんと覚えられなくて、
体に入れると、「あ、こっちいきたい」みたいな感覚があって。
そうしたら、旋律がユーミン調っていうか、
懐かしい感じに変わってきて、
ふいに松本隆さんみたいな造語も出てきて。
私が想像する20年前のニューミュージックっていうか、
バブル時期のOLの雨の休日っていうか、
ある意味私の感情が入っていないフラットなイメージを
純粋に作り手として楽しみたかったですね。
聴く人にとっても、言葉だったり、メロディだったり、
懐かしいつまみ食いみたいな曲にできたらいいなと。

Q 「さみしがり屋の言葉達」の資料には
松本隆さん(70年代以降、数多くのヒット曲を手がけてきた日本を代表する作詞家)と
松任谷由美さんへのオマージュ」としっかり書かれていますが。
A ええ、潔い感じで(笑)。
特に歌詞については、松本隆さんを意識して、言葉で遊んでみました。
Q 今回の曲は最初から「ユーミンとか松本隆の雰囲気で」っていうコンセプトだったんですか?
A いや、そこは何の話もしていなくて。
(作曲者の)宮川弾さんが”裕子ちゃんにどうかな?”
ってことでもってっきてくれたんです。
そこから歌詞を書いていったんですけど・・・
Q 内容よりも”言葉のハマリ”を意識して?
A そうですね。あと、時代は今から20年くらい前の感じで
Q 「さみしいがり屋の言葉達」っていうタイトルは後から付けたんですか?
A 後から考えました。理由とか意味はないんですけどね
Q (笑)。言葉ってさみしがり屋ですか?
A さみしい時って、言い訳がましくなるというか、言葉数が増えますよね。
自分は何でこんなに寂しいんだろう・・・とか、自分に言い訳したくなるっていうか。
腑に落ちないじゃないですか、自分が嫌な思いしているのって。

あの曲は宮川弾さんが書いてくれた曲で、最初もっとお洒落な曲だったんですよ。
謡曲っぽさはあまりなかった。
だけど、いざ歌詞を付けようと思って歌っていたら、
自分の中で懐メロ感がムクムクと沸き上がってきたので、
ニュー・ミュージックっぽい着地点を目指したんですね。
メロディに歌詞が呼ばれて、それこそはっぴぃえんどの「風街」みたいな、
自分なりの架空の街を思いながら書いていったんです。