安藤裕子『歩く』レビュー&セルフライナー

今回は、『歩く』。

JAPANESE POP

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現在公式Facebookで行われている
特別企画に少しだけ歩調を合わせてみました。
しかし、アンディDの一連のあとがきコメントを読むと
安藤作品、そして安藤裕子という一人のアーティストに対する
深い理解と愛情を感じます。
もっさんと3人、本当に素晴らしいチームなんだなぁと
嬉しくなってしまいます。



安藤さんの代名詞の一つとも言えるであろう
壮大なバラード。
その一つの到達点ともいえる楽曲が、
この『歩く』ではないだろうか。

普段安藤さんを全然聴いたことがない友人に、
一聴するなりwalkmanに入れたい!と言わしめた、
安藤さんの楽曲にしては(悪い意味ではりません)
大衆性をも備えた楽曲とも言えるのかも知れない。

ちなみに、この楽曲、レンタル限定シングルという
ちょっと変わった公表のされかたでしたね。
レンタルCDという日本に特有の制度と
アーティストの付き合い方もなかなか興味深いです。


K.



<セルフライナー(words by 安藤裕子)>


ちょうどツアーに出ているときで、
楽しいと苦しいの混在で精神的に追い込まれていて、
電話に出たくないから、
名前が表示されないようにしてたの。
その時も夜中だったから出ないつもりだったのに、
ふと見たら、表示されないはずの名前が出ていて。
その子は夜中に電話をかけてくる子じゃないから、
何だろう?と思って出たら、
「母ちゃんが死んだ」って泣いてて。
小学校の頃から私そのこのお母さんに、
「アンコ」って呼ばれてたんだけど、
「ちょっとアンコ、(電話に)出てやって」って
おばちゃんに言われたのかな?って。。
お通夜手伝えなかったけど、その子が、
「ちょっと母ちゃんに曲作ってよ」って言うから、
「じゃあ私は曲作るよ」って作ったのがこの曲です。
<夜はXX去る>とはあるけど、
人生って、やっぱり一歩一歩歩いていくものだと思うから、
「歩く」というタイトルにして。
<やがて〜〜走り去る>の歌詞の2行を歌う時、
清々しくて、前向きに進んでいく気持ちになるの。
今の本当の自分は弱弱でダメダメなんだけど、
この2行を歌う時は、
自分じゃなくなった気がして、
「あ、明日の扉を開けられたな」って、
すごく自信に満ちる。

これは2009年の1月に私はツアーを回っていて、
山形に入る2日くらい前かな、
夜中にルルルって電話が鳴って。
それが私が小1からずっと一緒にいるコで、
「このコ、そんな時間に電話してくるコじゃないよな」
っていうのもあったし、
お母さんがずっとガン患ってるのしってたから、
「どうした?」って出たら、
かあちゃんが死んだ」って。
「そっかそっか」ってきいてたんだけど、
ツアー終わった後に
かあちゃんの曲を作ってくんないかなあ」って話になって。
なんかね、既にその時に自分の中で曲があったの。
頭っていうか体の中に。
だから「作る」っていうよりも「あるな」と思って
「全然任せとけ」みたいな。
それでできったっていうか、あったのがこれ。