安藤裕子 『JAPANESE POP』レビュー&セルフライナー


新しいWALKMANとイヤフォンを買ったので、
改めて安藤さんの楽曲を聴き直しています。

良い音楽を聴くために(8) SONY NW-ZX1& XBA-H3 - 安藤裕子と泣き虫ピエロ

たかがWALKMANと思うかもしれませんが、
聴き慣れた楽曲も結構印象が変わります。

良く、CDではそれほど気にならなかった曲が、
ライブで聴いて大好きになるということがあると思いますが、
そこまでは行かなくても、似たものがある気がします。

そんなわけで、今一番聴いているのが
『JAPANESE POP』です。

JAPANESE POP

JAPANESE POP

このアルバム、改めて聴くと、とても聴いていて楽しいです。
1曲1曲の音作りがとても凝っていて、
楽曲もバラエティにとんでいて、
聴いていて飽きません。

発売当時、それほどはまらなかったのが
今思うと不思議でなりません。



〈セルフライナー(word by 安藤裕子)〉

音楽がどれだけ人の暮らしに大切なものなのかっていうのを
私はすごく感じたので、
だからこそ毎日の中にあるちょっとした感情を
曲にしていくことをやめちゃいけないなって思うんです。
あとは、今の音楽にまつわる状況が
ヤバイんだよってこともいいたかった。
作品ありきではなく、売れるため暮らすために
音楽を作るという本末転倒な状況に
傍観者ではいられなくなったというか。
反感を買うかもしれないけど、
警鐘という意味での”JAPANESE POP”でもあるんです。


本当に私、アルバム人間なんだと思う。
このアルバムは、何か1曲を前に出して
表現できるものではない、と思ったの。
時間をかけて作ったことも
すごく関係していると思っていて。
私自身は、不安が大きくて、
人として生きていく上で、すごく落ちちゃって。
でも出来上がった作品は、緩く広いし、
大きく構えているから、寄りかかれる部分がある。
音楽がちっちゃいちっちゃい自分を受け止めてくれて、
器がでかいというか、頼りがいがある。
「上等だなー」みたいな感じがすごくしていて、
自分もこの音楽に助けられているんだけど、
こんな世の中だから、マザー・テレサみたいな
大きな音楽(笑)の行き場がなかったら可哀想って思う。


曲っていうのは、自分が作っているけど、
できあがってしまうと、私には全然手の届かないものになるというか。
今回も私にとって、すごく”大きかった”んですよ。
現状の自分は、まだまだ小さくて・・・
でも、2年以上かけて作ったこの作品は、
そんな私を横目に見て、余裕しゃくしゃくで、
すごく大きな世界で自分を受け入れてくれるというか。
それが、この「JAPANESE POP」という
デカい名前の由来でもあって。
こういうポップスって、
今の時流じゃないじゃないか!って思えた。
だからこそのこのタイトルなんです。

今回のアルバムは、
自分にとって一歩前に進めたなと思える作品になりました。
ベストアルバムに収録した「唄い前夜」という曲で、
音楽は自分をもっと楽しませてくれるものだと、
自分の音楽に対する認識を再確認できたんです。
このアルバムには、そういう私の気持ちが入っていて
すごく好きな作品だから、
”これが日本のポップスだ”って自分で宣言してみようと思い
このタイトルを付けました。
制作面では、前作から変化しないといけないので不安だったんだけど、
終わってみるとすごく楽しんで曲作りができました。
初めて仕事をするスタッフさんとの作業も楽しめましたし、
アレンジャーさんによって曲の個性がかなり変わっているので、
是非聞き比べてくださいね。
あと、このアルバムは一枚でひとつの作品になっているから、
通して一枚を聴いてもらえたら嬉しいな。
曲順も大事にしてもらいたいし、
ひとつひとつの曲を1年365日、
日々の日常に照らし合わせてもらえたらすごくいいなって思います。

この「JAPANESE POP」ってアルバムにおいては、
自分がすごくリスナーを担ってたってところがある。
それまでは作り手側で「歌いたいものを歌う」ってところに終始してたけど、
このアルバムに関して言うなら、作る課程もそうだし、
できあがったものに自分が随分と助けてもらったっていうのがあって、
それはリスナーとしての立場を自分がすごく体感しながらやっていたと思う。
私はそれまでどっか音楽を悲観的に捉えていて、
なんていうか、衣食住に関係ないでしょ?音楽って。
自分も「普段の生活の中でそこまで音楽聴かないし」とか、
ちょっと否定的に捉えていたんだよね。
だけど、そうやって疑ってた音楽に
自分が落ちたときにいっぱい助けてもらった。
「chronicle.」後の2年間ってそういう時間だったのね。
そうしたら考え方がすごく変わったんですよね。
ライブもそうだし。みんな空洞と戦ってる。
それぞれの生活の中で、人間の文化が進めば進むほど、
空洞はでっかくでっかくなってって、
だからこそそれを埋めるためのエンターテインメントも必要だってことも
すごく理解した。
だから今回は、ほんとに自分が落ち込んでたときに、
浸りたいような悲しい曲もあるけど、
反面バカみたいに騒ぎたい気持ちもあるし、
例えば”マミーオーケストラ”って
クリーミーママ」になりたくて作ってるんだけど、
それを本気で歌ったりするのを聴いてるだけで、
バカバカしいほどドリーミーな気持ちになれたりとか。
そうやって自分の日常を埋める作業を
すごくいろんな意味でしてくれたアルバムだった。
だから、確かに今までとは立ち位置が違う部分が合ったと思う。
もちろんこの「JAPANESE POP」を嫌いな人もいるだろうし、
興味がない人もいっぱいいるだろうけど、
共感する人がいるなら是非自慢したいと思う。
「みんなすごいでしょ?」って。
きっとそれはこのタイトルにつながっていったと思うし、
「ポップだな」っておもったよ。
もちろんこのタイトルをシニカルに捉える人もいると思う。
「J−POP批判でしょ?」みたいな。
「批判はねーよ、特に」とは思う。
だけど「正解はこっちだと思う」って気持ちもあるしね。
「私、これが好きなの」っていう表現でもある。
でもどちらかというと自慢だね。
「ねぇ、エンジニアってすごいでしょう?」とか
「ミュージシャンってすごいでしょ?」っていうのはあるかな。

このアルバムっていうのは、
とにかくアルバム然としてるんだよ。
でも、今はどちらかというと
シングルチャートの方が動きが激しいだろうし、
シングルとかサビでものが動いているところもあるから、
アルバムで捉える耳とか習慣を持った人は
あんまり多くないかもしれない。
だから、自分はこんなに好きなのに、
ちょっとした異国人みたいな気持ち?
「JAPANESE POP」とは付けてるけど、
たぶんちょっと異国人なんだよね。
ちょっと不安はほんとはあるわけ。
「みんな聴き慣れてないでしょ、なんとなく」みたいな。

「現実なんてクソみたいなことが多いじゃないですか。
でもそれを忘れてみんなが夢を見る場所が
エンターテインメントだと思うのね。
自分もベストを境に色々な喪失感があったけど、
でも曲作りは楽しくて。
それが支えになって前へ前へ進むことができた。
だからアルバムができた時、
自分は(精根尽きて)ズタボロなんだけど、
アルバムはすごく上等なものに思えたの。
みんなと音作りを楽しんだ時間が詰まっていたから。
ああ、これが自分に夢をくれたんだなと思って、
自分より大きな存在だから、
でっかいタイトルにしたんです


子供の頃、良質な音楽が街に流れていたんですけど、
曲作りをするようになって、
それが自分にとっていい肥やしだったんだなと思ったんです。
例えば、細野晴臣さんや松任谷由実さんがアイドルに書いてた曲とか
素晴らしいと思うんですよ。
夢があって。
それで自分も夢にいいものをブチ込みたいと思って
丁寧な音作りをしてきたら、
いつの間にかそういう遺伝子を継承しているような状態になっていた。
だから<日本のポップスってそういうものだったんじゃないの?>みたいな。


もっとみんなと曲作りを続けたい、
大事にしたいと思うんだよね。
現状の商業化しすぎた音楽業界に
警鐘を鳴らしたいという意味でも、
『JAPANESE POP』というタイトルにしたかったし。
いまの業界のなかで、私は端っこにいる人間だけど、
自分のやってることは正しいという認識はあって。
まわりにいる人たち――ミュージシャン、エンジニア、スタッフ――
がやっていることを尊敬しているし、
だからこそ、いま自分がやってることは
間違っているとは言えないんだよね。

偉そうなタイトルと思われるかもしれないけど、
そう思われてもいいから、
まず人に見知ってもらいたいと思ったんですよ。
安藤裕子なんて知らねえよって人にも、
『JAPANESE POP』って何だと、
見てもらえるんなら、それは望むところだと。
自分には、相変わらず自信はないんですよ。
音楽的にも、何にしても。
でも、私が一緒に楽曲を作るミュージシャンやエンジニアは、
ホントに素晴らしい人だと思うし、
彼らと一緒に作っている音楽を自慢したいというか。
もっと見て欲しいし、もっと聴いて欲しい。
すごくね? このドラム、とか。
同じ人が叩いてるドラムでも、
このエンジニアさんが録ると、
こういううねりが聴けるでしょ? とか。
そういうのを含めて、アルバムを聴いて欲しい。
私たちが一番だとは決して思わないけど、
これまで丁寧に作ってきたし、
これからもやっていくつもりだから、
そこはしっかりと意思表示をしたいし、
存在表明をしておきたい。
前は隠れていたかったの。
近しい人たちと楽しく音楽が作れて、
聴いてくれる人たちとちっちゃい輪の中で
楽しく暮らしていければと思ってたんですね。
でも、私が安藤裕子というチームのフロントマンだから、
私がちゃんと発言して、人前に立たなきゃいけないと
すごく感じるようになった。
それは、音楽というものが、
こんなにも大事なものなんだって知ったから。
もっと責任をもって伝えていかなきゃいけないと。

自分も音楽に対して向き合い方を変えなきゃいけないと思ったし、
『JAPANESE POP』というでっかいタイトルも、
自分に対して気合いを入れるためというか。