安藤裕子 『chronicle.』(アルバム) レビュー&セルフライナー


アルバムレビュー第2弾は、『chronicle.』。


chronicle.(DVD付)

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年代記」という意味を持つ本作。
安藤さんの第1期を締めくくる
集大成と言っても良いような名盤。

遠藤周作の小説をモチーフにした
「六月十三日、強い雨」で壮麗な幕が上がり、
「海原の月」や「美しい人」など
安藤さんらしい美しいバラードから
「お祭り」などちょっと愉快な曲が中盤に陣取る。
そして、小沢健二の「僕らが旅に出る理由」から
「さよならと君、僕とハロー」で締めくくられる
ラストはどことなく意味深だ。

この後ベスト盤を挟んで
第2期とも言える「JAPANESE POP」へとつながって行く。



〈セルフライナー(word by 安藤裕子)〉

年代記“を意味する『cronicle.』って、
曲目や曲順ってことじゃなく、
アルバム全体が持ってるイメージですね。
この作品では、私の過去、現在、未来だったり、
私を産んだ母の人生だったり、
そういうものが走馬灯のように見えて、
私の人生は母とかおばあちゃんとかそのまたお母さんとか、
そういう人達の暮らしや気持ちが積み重なって存在してるんだなって思ったんです。
そういう意味での『cronicle.』なんです。

今思えば、「唄い前夜」から変化の予兆はあったのかもと思ってて。
当時はわからなかったけど、
新しいアルバムをつくる前から
自分が自分じゃなくなるような恐怖みたいなものを感じていたんですよね。
変化することが不安で怖くて、
変わりたくないと思いながらも、
きっと変われないとあせっている自分もいた。
でも、アルバムをつくり終えてみたら、
知らない間にゆっくり脱皮していて、
私が私じゃなくなってたというか、
いつの間にか変わっていたんです。

アルバムを聴き終えた時に、
自分の子供のころから母親の少女時代、
もっと前のご先祖さんの時代までが
走馬灯のように駆け巡ったんですよね。
このまま自分は死んじゃうんじゃないかって
思ったくらいせつなかったんですけど、
30年間生きてきた安藤裕子という存在の歴史が一つ成熟して、
完結したというか。
お別れしる寂しさや悲しさもあるし、
何か始まろうとしている自分を楽しみにしてる部分もあります。

前作のいわゆる安藤裕子的なゆったりとしたサウンドと、
初期の頃の大胆で実験的な感じのサウンドが、
なだらかにつながって、
面白い変化を生んでいると思います。
小沢健二の「ぼくらが旅にでる理由」のカバーも
面白い仕上がりになりました。

1年前に歌ってた私は私じゃないって感覚があったんです。
この1枚を作る中で、私はいろんな歴史を通り過ぎて、
生まれ変わったんだと思う。
何が変わったかわからないんですけど、
以前の自分を通り過ぎたと思った。
別にみんなとお別れするわけじゃないのに卒業感があっって、
寂しい切ない感じがある。
でも、これから何かが始まる、
そういうワクワク感が詰まってます。

なるべくしてなったというか、
「Merry Andrew」から「shabon songs」にかけて
膨らんでったサウンドたちが、
「chronicle.」でどんどん中心へめがけて
いろんなものをそぎ落として集まってきたんですよね。
余計なモノを排除していく感じ?
特にライブで歌うと、
裸の言葉とか裸のメロディが強いなって感じられるんですね。

私変わるのが嫌いなんですよ。
みんなよく環境の変化とか、
人生ステップアップみたいなものを望むじゃないですか?
でも、私はそういうのが好きじゃなくて。
引っ越しもあんまりしたくないみたいな(笑)。
せっかくみんなで築きあげたものが壊れて、
ひとりになるのも嫌だし怖いしっていうのがあって。
でも、何か変わる予感もしていて、
それにどこかわくわくもしてて、
その反面変わりたくないって思っているところもあって、
いろいろな迷いがありまあしたね。
もう前のアルバムの最後の曲「唄い前夜」には
その予感の兆候があったんですけど。
で、このアルバムの制作に、
前作から流れ込むように入っていって、
「変わっちゃう変わっちゃう!怖い怖い!」
っておもっていたら、
アルバムのレコーディングが終わる頃には
気がついたらもう通過してたんですよね。
「あ、私なんか変わってた」みたいな。
それは自分の人格的にも、身体も、性格も、
何かが変わってしまっていて。
音楽においても、
自分にとって歌うことの意味が随分変わってきてしまっていて。
そういう意味では、このアルバムにはひとつの大きな変化が刻まれていますね。

私も1曲1曲では気づかなかったんです、何も。
1曲1曲はいつも制作の最中のことなので、
自分自身では何も分からなかったんですけど、
13曲まとめて曲順を決めて聴いているときに、
すごく走馬燈みたいにいろんな映像が見えて。
私が生まれてから今に至るまでの映像だったり、
未来の映像だったり、はたまた過去に飛び越えて、
自分のお母さんがまだ少女で、
じぶんのお父さんときゃっきゃしてたりとか、
そのまたおばあちゃんのおばあちゃんみたいな人が
少女だったりという映像まで見えて。
走馬燈見たから私は死んじゃうのかなってと思うくらい、
そういうものが自分の中でどんどん沁みてきて切なくなってしまって。
どの曲で泣いたってわけじゃないんだけど、
このアルバム聴いているとちょっと泣けてきちゃうっような・・・
だからきっと、何かの分岐点にいるんでしょうね。
自分の中で何かの時代が終わって、
何かが始まろうとしているところで、
このアルバムの中に足をつっこんでしまって。
その境目で、私がどうして生まれてきて、
今ここにいるのかの理由が見えてきたような感じです。
そのスタートが自分自身じゃなくて母親だったり、
祖父母だったり、もっと昔の時代から、
それこそいろんな人たちの生死があって、
人生の中でいろんな事件とか感情とか
思い出みたいなものが全部固まって、
それが全部地で繋がって、
それで今の私がここにいるっていう感覚がすごくあったんですよね。
自分の人生って、みんな自分を主役に設定しているじゃないですか。
その他の人はエキストラでって。
でも、自分がここにいるのは
それ以前の人がいっぱいいたからだっていう事実が、
自分の中ですごく沁みいって。
だから、この「chronicle.」っていう作品は
安藤裕子という名前を持った人間の歴史だけじゃなくて、
もっとずっと前から綿々と続いてきた歴史っていうイメージなんです。

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