安藤裕子 『隣人に光が差すとき』レビュー&セルフライナー

今回は、『隣人に光が差すとき』。


Middle Tempo Magic(CCCD)

Middle Tempo Magic(CCCD)


あれを読んだか
これを読んだかと
さんざん無学にされてしまった揚句
ぼくはその人にいった
しかしヴァレリーさんでも
ぼくのなんぞ
読んでないはずだ
山之口貘


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ
石川啄木


獏さんがゆく (詩人の評伝シリーズ)

獏さんがゆく (詩人の評伝シリーズ)



自分がどこまでもこころに余裕がない人間なので
精神の貴族と呼ばれた貘さんの詩など読んでは
あこがれたりするけど
あまり近くによりすぎると
熱すぎて耐えられなくなって
いそいそともとの暗い場所に戻りたくなったりします。
太陽自身も中は冷たかったりするんじゃないかなと思いながら。


安藤さんにとってこの曲への思い入れが
とても強いことがヒシヒシと伝わってくる。
美しいメロディに裸の言葉が乗って、
襲いかかってくる。
オリコンの小池氏が、安藤さんの歌声を評して
『体の内側が揺れる』と言ったのは有名な話だが、
この曲こそ元祖『揺れソング』だろう。


〈セルフライナー(word by 安藤裕子)〉

一年前にデビューして、
その一年ぐらい前に今のスタッフと出会って。
ちょうどその直前に
「隣人に光が差すとき」って曲のデモを作ったんだけど、
初めて人に聴いてもらいたいと思った曲で。
それまではすごい頑なで、
「私の曲がわかんないならいいのよ」みたいなところもあって。
あやふやでただ音楽がやれてればいいって感じで・・・。
そしたら、一緒にライブとかをやってた子が先にデビューが決まって、
お披露目ライブみたいなのに呼んでもらったんですね。
そこで彼女は晴れ晴れとして
普段よりもいっそう輝いているんですよ。
お客さんもすでにCD持っていて、
泣きながら聴いてて。
「ああ、彼女の歌は人にすごい伝わっているんだな。
私の曲は誰にも伝わってないわ。」と
すごく悲しくなってしまって(笑)。
「隣人に光が差すとき」はそん時に作った曲で、
初めて自分の弱いところが出せて。


(「Middle Tempo Magic」の選曲について)
何か強くいうんだったら、
「隣人に光が差すとき」はもう絶対に入れたいと。
デビュー前からこの曲をどう発表しようかというのがあって。
いい形でいい場所で置くことができたと思う。


Q この曲は安藤優子にとってどういう曲なんだろう?
A いちばんポイントですよね、私が音楽やる上では。
初期の頃というのは私も自分の弱さを知らない面があって。
すごく排他的というか、
わかってもらえないならわかんなくて結構よ!的な部分があった。
それまでは自分の弱いところを出して
「こうしてほしい」みたいなことは歌ってなかったんだけど、
あるきっかけから「隣人」ではそう言う詞が歌が書けて。
ホントは出すのが恥ずかしかったけど、
そのときアレンジしてくれる人に渡したら
「いいじゃん」っていってくれた。
うれしかったですよ。
私、こういうことやっても許してもらえるんだって。
で、一方で、私の中でこの2年間の音楽生活は
すごい幸せなものだったんですよ。
そう言った意味で、
ある程度私の心は浄化されてるんですよね。
だから私の中に「隣人」のような気持ちはあるにしても、
今共感してくれる人たちを慰める意味で
この曲を作って出したいということが今の私には強いんです。


これは、4年前にさかのぼるんですけど。
この曲が私がデビューするまでのいちばんの
分岐点になってるんです。
私自身、5〜6年前からスタジオに入って、
今と同じようなことはしてたんです。
でも立ち位置が全然違って、
私の作る楽曲がわからないならそれでいいんだよって
スタンスだったんです。
周りのスタッフの意見も聞かなかったし。
そうこうしているうちに、
自分がどうしていいか分からなくなってて。
そのときに、
何度か一緒にライブやってた女の子がデビューすることになって、
お披露目ライブを見に行ったんです。
そしたらその子が光輝いているんですよ。
それまで意識しなかったんですけど、
デビューするしないでこんだけの差があるんだって実感して。
ファンと思われる子がステージを観て泣いてるのをみて、
あ、彼女はこの人と繋がってるんだって。
自分の孤独さを感じて、すごいガクンときて。
それまで弱音を表に出した曲って
作ったことなかったんですけど、
でもこの曲で初めて、私寂しいのって部分を出せて。
それを人に聴いてもらいたいと思ったんです。
デモを聴いてもらったら、
いいじゃんって人に認めてもらえて、
すごく嬉しくて。
こういうことやっていいんだって思えて。
で、自分で、
CDーRをパッケージして詩集入れたのを50個作ったんです。
それを良くしてもらってた映画監督の堤幸彦さんに渡したら、
「今ちょうど撮った「2LDK」って映画と内容ピッタリだから使わせて」
って言われて。
それをきっかけに、インディーでだして、
ある程度売れたらメジャーにアプローチしようって
話が出てきて、
やっと人に聴いてもらえるって思ったんです。
そんなときにいきなり、
アレンジャーやってたヤツが、
「オレ辞めます」って言ってきて。
私はもう、人前であんだけ泣いて怒鳴りつけたこと
ないってくらいでしたね。
結局、事務所の社長が
「大丈夫、オレらはやるから」って
言ってくれて(笑)。
そこからまたやり直しになっちゃったんですよね。
で、ある日ラジオのDJにCDが渡って、
その夜にかけてくれたらしいんです。
そのオンエアのテープをあとから聞かせてもらったら、
ほんと、涙ポロポロ出てきて。
普段あんまり泣かないんですけど。
で、ちょっと説明が長かったですけど(笑)。
この曲を出すために、この2年間、
周りのスタッフと仲を深めていった感がありますね。
みんなとこういう話ができるくらいになったら
この曲を発表したいと思ったんです。
そのために準備をし続けたような。
そして2年経って大人になって、現状幸せだから、
今は当時の自分と同じように思ってる人を慰められるような、
そんな気持ちで歌えればなって。



この曲でPVを作ったんですけど、
今まで出してなかった
自分の素の部分が出てるんじゃないかな。
2年の思い出アルバムみたいな作りになってるし。
今周りにいる人との楽しい部分を出したいなって。
曲の内容は悲しいけど、
それを越えて今は幸せですよって。
でもほんと、
いろんな変化があって生きてるなって思うわけですよ。
また苦しい思いをするかもしれないけど、
今は死ねないと言うか(笑)、
全然やり足りてないことが多いんで、
限られた時間でもやれることはやりたいなって。
その割には動き遅いんですけどね(笑)。
健さんっぽく、「自分不器用なんで」っていう(笑)。