安藤裕子 Premium Live 2015 〜Last Eye〜 関内ホール

黒と青を基調にしたシックな衣装で登場した安藤さん。
これまでのお遊び的な要素はほとんど身を潜め、
弦とピアノというミニマムな(けれどすごく重厚な)バックに乗って、
これでもかこれでもかと安藤さんの歌声がホールに響きます。

今日のライブは、
歌い手としての安藤裕子の一つの集大成といえるのではないでしょうか。
それほどに、素晴らしい歌声でした。

そもそも、安藤さんご自身もおっしゃっていたように、
安藤裕子というアーティストを、歌手として認識している人はそれほど多くないと思います。
少なくとも私は、安藤さんを歌手と言うのには少し抵抗を覚えます。

失礼ながら、ものすごい声量があるというわけでも、
テレビ番組でやっているような点数化できる歌のうまさがあるわけではおそらくありません。

安藤さんの魅力は、第一に楽曲、第二に声、
そして、そこに、何というのか、
安藤さんの、人間としての揺れというか不安定さ(良い意味でも悪い意味でも)
のようなものが絶妙にミックスされているところだと思います。

数年前から(「勘違い」を出したころからでしょうか)、
ライブで歌いづらそうにしている安藤さんの姿がちらほらと目について、
歌い方も色々と模索しているように見えました。

でもここ二、三年は、声量が大きく増え、テクニックというのか、
音域もどんどん広がっているように感じます。

そして、今日のライブでは、くるりのカバー曲で始まり、
セットリストの多くを初期の曲が占めていて(「勘違い」以降のアルバムからはゼロ曲!)、
歌い手として大きく成長した安藤裕子が、昔の楽曲を歌ってみたらこうなりました、
みたいなものを見せられた気がします。

また、70年代生まれの音楽ファンにはある意味欠かせないNIRVANAのカバーあり、
別の意味で欠かせない??マライアありと、カバー曲もこれまでにない幅の広さです。


一方、少し心配な発言もありました。


“わたしは今年、ひとさまに曲をいただいてアルバムをつくっていました。
何か、自分の心が動かなくなってしまったんですね。
自分に対して漏れてくる曲が消えたような気持ちになってというか。
多分最近のアルバムもどこかそういう終焉を探しているような作品が多くなってしまって・・・“


でも、こうも言っていました。


“わたしは根っから自分が歌手だって認識が薄くて。
作らないのに歌っていいの?って気持ちがすごくあったんですね。
でも、人から曲をもらって初めて見える自分、
ああ、わたしってこういう声なんだなぁとか、
こいいう声も出るんだなぁ、というのを観察できた一年でもあったんですね。“


きっと歌い手として大きく成長された安藤さんから自然と漏れてくる曲たちがまた出てくると思いますので、
ファンとして気長に待ちたいと思います。

最後に、ツアータイトルにもなっているTKさんとの共作
「Last Eye」についての安藤さんのコメントです。


“すごくなんか透き通った孤独みたいなものを感じる曲です”


次は六本木EXシアターです。
今年最後のライブ。とても楽しみです。


K.


今私は一人だ。ほんとうに一人だ。
そして、知られているあらゆる生き物から完全に隔てられている。
私は他者と何の関係もない「それ」でしかない。
人数を数えたなら、月の向こう側には30億プラス2人、
こちら側には、一人のほかに誰が、あるいは何がいるかは神のみぞ知る、だ。
(マイク・コリンズ「火を運ぶ‐ある宇宙飛行士の旅路」)


俺もいろいろ変わったよ。
でもね、おれはどんな時でもきっと自分の味方でいようと思うんだ。
たとえ最後の一人になったとしても、俺は自分に味方する。

ロボの言う通り、私はずっと自分の味方でいようと思う。
なぜなら、私を救えるのは、宇宙でアタシだけだから。
セクシーボイスアンドロボ